2007年2月12日 (月)

ニーチェ

 科学は多くの有用性をもたらした、現今では人々は、宗教やこれと類似のものに対して不信の念をいだきながら、科学にまった屈服したがっている。しかしこれは誤りなのだ!科学は命令することはできない。道を指示することはできない。むしろ、人々が、どこへ?を知っているときに初めて科学は有用でありうるのだ。一般に、認識が人類にもっとも有用で最も不可欠なものをつねに認識するであろうと信ずるのは、神話論である--認識は、有用でありうるものとまさに同程度に有害でありうるであろう。--道徳性の最高の諸形式は完全な明るさの基ではおそらく不可能であろう。

長い歳月が流れて銃殺体の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない。

 復讐をあきらめること、それは「絶対に現代的である」こと。

叙述は一つの思い出、したがって要約、単純化、抽象化なのだ。

僕は何かを語ろうとするときに、常に暴力的であるを免れ得ない。僕が語ることはすべて、暴力的な要約であるを免れない。僕は細かな些事をすべて捨て去ることを持ってしか何一つ語れない。

1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから。
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

2
奉仕の気持になりはなったが、
さて格別のことも出来ない。

そこで以前より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田を敬虔に編み--

まるでこれでは、玩具の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇へば、にっこり致し、

飴売爺々と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、バラバラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

 ((まことに人生、一瞬の夢
 ゴム風船の、美しさかな。))

空に昇って、光って、消えて--
やあ、今日は、御機嫌いかが

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処かで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

戸外はまことに賑やかなこと!
--ではまたそのうち、奥さんによろしく。

外国に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美しく、はた俯いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をボーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に--
テムポ正しく、握手をしませう。

2006年10月 9日 (月)

金子賢の格闘技挑戦について

 金子賢が、プライドに続いて、HEROSにでるらしいですね。今日は、このことについて、ちょっと書いてみたいと思います。

 金子賢といえば、僕にとっては、かなり前にTOKIOの長瀬君と自動車修理工場の二階に住んでいるというドラマ(名前が思い出せない)に出ていたすがたががすぐに頭に浮かんできて、そのあとは、広末涼子がなんだかぷつんと線が切れたように夜遊びをしたりなんかしたりしていたということを週刊誌が報じたときに、彼女と一緒に遊んでいたとかいうことが書かれていたなぁ、なんてことが浮かんできて、そのあとでは、なぜかダウンタウンの浜ちゃんと仲が良くて、ジャンクスポーツに出たり、日テレの深夜にやってる浜ちゃんの番組にたまーに出たりというくらいの印象しかないのですが、総じて言うと、特に僕は彼に対して、悪い印象はありません。

 去年の大晦日に彼がプライドに挑戦したときには、リングに上がったときに相手と比べてなんて細い体をしているのだろう、こんなんじゃ勝てやしないじゃないかと思って、案の定なにもできないうちに負けてしまったと、それで、僕は彼は、格闘技なんてあきらめたのではないかと、こう思って一人安心していたのですが、なんとおどろくべきことに、彼はまだ格闘技をあきらめておらず、プライドの放送をフジテレビがやらなくなったことを契機に、HEROSに参戦ということを聞いて、驚いているのです。

 「HEROSに参戦」なんていうような分かったことを言っているのですが、もともとTBSの格闘技番組のわけの分からない過剰演出が嫌いでその、HEROSとか言う大会がどんな大会なのかも見たことが無いので知りません。唯一知っているのは、前回大会で桜庭が出ていて、やたらと殴られて、これじゃぁ選手の生命が危ないよかなんかそれに類した事を前田日明が言っていたというくらいのこと(それも、通勤途中に携帯のニュースサイトで見ただけです)なのでした。なので、HEROSというのが、どういう大会なのかは僕にとっては謎で、金子賢さんの相手の所選手という人も、僕はなんとなく名前だけは知っているくらいのものです。

 ということで、格闘技マニアにしてみたら、ABCも分かっていないような僕ですが、それでも、前田日明の言っていることを聞くと、なんとしても金子さんにがんばってもらいたいというような気がします。

 前田さんの言うことには、正論のような雰囲気が漂っています。かれはこういいます。

「2年間無収入だとか、まじめに練習しているとか関係ない。本当にやるなら芸能界を引退して、アマチュアの大会から始めるのが当然。桜庭をはじめ、選手はみんな死ぬかもしれない状況で戦っている。そうした根性とか覚悟が彼にあるのか?」

 僕は、彼に対してこういいたい、

「芸能界を引退しているとか、アマチュアの大会で優勝したとか、そんなことは関係ない。問題は、強いか弱いかそれだけだ。悔しかったら、お前みたいな中途半端な顔でドラマに出れるものなら出て見やがれってんだ。・・・えーと、いや待って、うーんと、そういうことじゃないや、えー、・・・つまりだね、そんなことじゃなくて、つまりだ、こっちはお前の土俵で戦ってやるんじゃい!、そんで勝ってやるんじゃい!!ごちゃごちゃ言ってないで、お前の愛弟子をリングに入れてみろや、秒殺してやらぁー!いちいち文句言うんじゃねー、ばかやろう!!」

 金子君は勝ってしまえばいいと思う。金子賢が何者であるかを僕は何も知らないが、芸能人だからだとか、何だかんだと、女々しいことを言って悔しがっているような、女の腐ったような男共が集まる場所が、格闘界だとしたら、そんなうじうじした場所は不健全なので駆逐してやるほうが社会のためだと思う。

 悔しかったら、金子賢をぼこぼこにしてやればいいのである。ごちゃごちゃと、分かったようなことをえらそうな顔をして述べることはない。公衆の面前で、立ち上がれないくらいに打ちのめしてやればいいのである。金子さんも、それくらいのことは、承知でリングにあがるのであろうから、前田がなんと言おうが恐縮することなんかは全然無いと思う。悔しかったら、俺のようにやってみろよ、くらいの態度でのぞんでいいと思う。

 なんてな事を言っております。HEROSの放送も、亀田の試合もTBSじゃないならみるのになぁと思いながら、明日もたぶんテレビはつけずあさってのヤフーニュースを見て結果を知るのであろうなぁと思っている今日この頃でした。

2006年9月19日 (火)

プレミアリーグ、ビッグフォーの激突や、スペインリーグの放送、特に実況についての感慨について緒言

 サッカーについて書きます。

 まず、第一に、アーセナルが、マンチェスターユナイテッドを下しました。これは実に、めでたいことです(試合の内容はおいておくとして)。

 んで、チェルシーが、リバプールを退けました、すんでのところで。
 というのも、どうでしょう、どちらが勝ちにふさわしかったかというと、やっぱリバプールなんじゃないかな?ってのが正直なところです。リバプールは、負けてはしまいましたが、おそらく、これから先、FWをベラミーとカイトで固定していけば、いいところまでいくんじゃないかという気がします。最初の一点を取ることができれば、うまく回っていくのではないでしょうか?
 翻ってチェルシーは、大丈夫なのでしょうか?もちろん、ドログバのゴールはすさまじいものでした。思わず、うぉー!!とか叫んでしまう類のゴールでした。あんなところから、あんなシュートを打たれた日には、たまったものではないなという感じなのです。だけど、いくら、スパーゴールを決めようと、なんだろうと、一点しか入らないのにはかわらないのです。目の覚めるようなゴールを決めたからといって、一点が二点になったり三点になったりするわけではこれ、ないので、一点決められたら、決め返せばいいと思うのです。そして、今シーズンのチェルシーに対して一点決め返す力が、他のチームに無いとは、考えられないのです。冷静に考えて、あせらず、あわてずやっていけば、チェルシーの牙城が崩れるのもそう遠いことではないような気がするのですがどうでしょうか?

 次は、スペインリーグについて。

今年のスペインリーグの放映権をwowowがようやく獲得したらしく、先週から放送が始まりました。今年のスペインリーグはかなり面白そうな予感がします。ライカールト率いるバルサを脅かすことができそうなチームが、カペッロ率いるレアルマドリーを筆頭に何チームかいます。僕としては、アトレティコにがんばって欲しいのですが、たぶんダメなんだろうな・・・

 ということで、僕は、昨日の夜に、バルサ対ラシン戦を見たのでした。

 ラシンは、結構いい試合をしていたと思います。ムニティスとジキッチのコンビネーションはいまいちあっていないみたいでしたが、中盤でも負けていなかったんじゃないかという印象です。ただ、ラシンはキーパーがよくありません。あのキーパーでは、ちょっと、残留も難しいんじゃないかと思ってしまいます。

 スペインリーグをwowowが放送するようになって、Jsportsやスカパー好きのサッカーファンにはいろいろと文句があるみたいですが(ぼくもそのうちの一人であります)、最近は、言うほど悪くはないのではないかと思い始めています。というのも、どんなに多くの放送をwowowにしろJsportsにしろスカパーにしろ、がしてくれたとしても、ぼくの仕事の関係上、週に見られる試合数は一試合か、多くて二試合に過ぎず、それも生では見られないので、録画をすることになります。ということで、一節につき以前のJsportsがそうであったように四試合を放送しようが、何回も再放送があろうが無かろうが、僕にはあまり関係のないことになります。

唯一残念なのは、倉敷さんの実況で、金子達仁、幸谷秀巳(漢字があってるかどうか微妙)、粕谷秀樹(漢字あってんのかな?)解説、で見られないということですが、まあそれも何とか我慢できます。

しかし、これだけは言っておきたいのですが、wowowの実況で田中大史とか何とかいうやつが、けっこう重要なゲームの実況をしているのですが、こいつの実況だけは、どうしても好きになれない、というよりも腹立たしい、むかむかしてしまうのです。あれは、どうにかならないものでしょうか?あいつ以外は、実況も解説も別に何も気にならないのですが、あいつが実況する試合だけはみる気になりません。ということで、あの男が実況をやっているときには、僕は、音を消してみています。そんで、音を消してしまうと、眠くなってしまって、前後半あわせて90分のうち59分はうとうとしてしまいます。これが唯一の問題です。皆さん、自分がいやだなと思う、実況なり、解説なりに出くわしたときには、どうしているのでしょうか?僕は、副音声が欲しいと思ってやみません。wowowさん、そこらへんのとこ、考えてはくれないのでしょうか?

2006年8月28日 (月)

アーセナル

 アーセナルのファンなのです、私は(坪内祐三風)。

 なので私は、とても悲しい。

 僕はもう、絶望してしまったので、朝から晩まで、バスケットボールを見ています。

 朝から晩までバスケットボールを見ていて思ったことは、ドウェインウェイドのしなやかさは慶賀すべきことであろうということと、世界には背の高い人の多いことということです。

 スペインリーグの、放映権をWOWOWが取れなくて苦労しているらしく、開幕戦の放送がありませんでした。開幕戦は、ベティス対バレンシアだったそうです。バレンシアといえば、モリエンテスにホアキンがはいって、素敵なチームです。ぼくはその開幕戦は見たかったのですが、日本で放送が無いのではぜひもありません。一人千葉の田舎町でビールを飲んで、管を巻いていたのです。

 Wowowは何を考えているのでしょうか?!なんていうことを、言いたい気は山々ではありますが、3年前に、サッカー界において最大の敗北を一視聴者として味わった僕は、すでに悟りきって、はっはーん、こいつら俺らのことをなめとぉーんななんて言うくらいのことしかできないので、ため息をつきつつ自慰行為にふけっております、ハハハ。

2006年8月12日 (土)

勝手にNo.5

第五位 グリーン車(総武線快速)
第四位 BoA(韓国人歌手)
第三位 百年の孤独(ガブリエル・ガルシア・マルケス)
第二位 一番搾り(KIRIN)
第一位 turn off the light(Nelly Furtado)

2006年8月10日 (木)

自分が絶望の状態にあることを知っている絶望。それでここではひとは自分が自己(したがってまた或る永遠的なるもの)をもっていることを意識している、そして絶望して自己自身であろうと欲しないか絶望して自己自身であろうと欲するかのいずれかである。

「幻影を捨て去れば、たとえ混沌のなかにあっても、すべては顕わに露呈する。初めから混沌以外の何ものでもなかったのだ。わたしをつつみ、わたしの鰓で呼吸していたそれは、ネバネバした液体だった。そこのほうは、月がものうげに動かぬ不透明な光をなげかけ、ひっそりと豊饒だったが、上層には密林と騒音があった。何についてもわたしはたちまち対立と矛盾を見つけ、現実と非現実のあいだに風刺と逆説を見出した。わたしがわたし自身の最悪の敵であった。してみたいと思うことは何一つ無かったし、また、何かしてみようと思ったとしても、できることは何も無かった。」

-Nobody likes me , nobody likes me but that's okay 'cause I don't like you anyway.

「テレザはトマーシュのいうことをきき、母親のところには行かなかった。しかし、その日のうちに、通りでころんで、膝にあざを作った。彼女の歩きぶりはたよりないものとなり、ほとんど毎日のようにどこかでころんで、どこかしら痛めたり、少なくとも手に持っていたものを
落としたりした。
 そこには落下への克服したがい憧れがあった。絶えず繰り返すめまいの中で生きていた。
 ころぶ者は「おこして!」と、いう。トマーシュは彼女を我慢強くおこし続けた。」

「ここでは無論自分の絶望を意識している人が果たして絶望についての真実の観念を持っているかいなかが区別されなければならない。それで或る人は彼のもっている観念からいえば自分を絶望していると呼ぶことが正しいかもしれない、それにまた彼が絶望しているというのは本当のことなのかもしれない。しかしそれだからといって、彼が絶望についての真実の観念をもっているということにはならないのである。もし我々が絶望についての真実の観念のもとに彼の生活を考察するならば、おそらく我々は彼にこういわなければならないであろう、--「君は君の考えているよりも本当は遥かに多く絶望している。君の絶望は実はもっと深い所にくいこんでいるのだ」。前述したことを想起してくるとすれば、異教徒の状態もまた同様である。もしも彼が他の異教徒と比較して自己自身を絶望しているとみなすならば、自分を絶望していると考えているその点では彼の考えは間違っている、--彼は絶望についての真実の観念を所有していないのである。」

                                              !!!!!

2006年8月 6日 (日)

大人しい発狂

 イスラエルがレバノンを攻撃して、東京は、猛暑です。

 亀田選手が疑惑の判定で世界王者になり、ヤギ子はナーとないてあくびをします。

 僕は、電車に揺られて、仕事に行きます。

 僕は、電車に揺られて、仕事に行っています。

 仕事場では、誰かが、巨人の凋落について話しています。

 大切なのは、君、分かるかね、次のシーズンにバルサが優勝するかそれだけなんだよ。わかるだろう。大事なのは、それだけさ。

問題は、「物は、じつに多様な座に『よこたえられ』『おかれ』『配置され』ているので、それらのものを収容しうるひとつの空間を見いだすことも、物それぞれのしたにある《共通の場所》を規定することも、ひとしく不可能だ」ということである。

2006年7月23日 (日)

このごろ思うこと

 人は、人の失態が大好きである。特に、それが知ってはいるが自分に関係のない人である場合、その失態に向けられる好奇の目はすさまじいといえる。

 むかしむかし、日本には、福田恆存という名前の人がいて、いろいろなためになることを言っていたのですが、まあ今日は、その人の話に耳を傾けてみましょう。

 「英国のプロヒューモ前陸相の「醜聞」事件が明るみに出た当時から、日本の週刊誌が相手方の傾城キーラーを中心に賑々しく書き立ててゐる。動機は単純である。西も東もない、人間の好奇心は「美談」よりも「醜聞」を愛する、唯それだけの事だ。
 私はさういう好奇心自体を軽蔑しはしない。しかし、馬鹿々々しいのは、この種の事件に吾々の好奇心を満足させてくれる内容の殆ど無き事、痴漢に関する記事と少しも変わりはなく、それでも性懲りも無く、大衆はそれを読みたがるといふ事だ。実に馬鹿々々しいと思ふのは、それを「上流階級の頽廃」と結び附ける事によつて、自分のあまり上等とは言へぬ好奇心を正当化する人種がゐるという事だ。あんな事は頽廃でも何でもない、プロヒューモ氏は要するにヘマをやつたというだけの事だ。
 それを「上流階級の頽廃」と言ひ得るほど、吾々「中下流」の性生活が道徳的であり、健全であるとは必ずしも言へない筈である。総じて何についても言へる事だが、殊に性においては自分とさして変らぬ行為も、他人の事となると、とかくいかがはしく不潔に見えるものらしい。そこから「醜聞」に対する飽く事無き好奇心が生まれるのであるが、ヘマと道徳とは飽くまで別の次元に属するものであり、両者を混同する無意識の偽善は、吾々の道徳観の曖昧なる事を証拠立てるだけの事に過ぎまい。」

 この文章のうちの、上流階級というところを「芸能界」、あるいは「日本」に、英国のプロヒューモ氏というところを「極楽とんぼの山本氏」に置き換えていただければ、僕の言わんとするところは殆ど言い尽くされたことになります。

 ぼくは、あえて強調したい。「山本氏はヘマをやっただけだ」

 僕は彼の芸人としての価値がいかほどのものであったかを詳らかにする者ではないが、これだけは言えると思う、馬鹿な未成年に手を出してしまって本当に運が悪かったと。特に時代が、芸能界という本来道に外れた人たちを集める場所に対して法外なほどの品行方正を求めているときに当ってはなおさらである。

 弱いところを見せてはいけない。彼らは、必ずそこにつけこんでゆくに違いない。彼らに興味があるのは、彼らがターゲットにする人々のその後の人生では決して無い。その人たちがこの事件が終わった後に、どういう人生を歩むかなんてなことには露ほどの注意も払わない。彼らが唯一情熱を燃やすのは、人々がどのようにして、どこまで落ちてゆくかでしかない。落とせるところまで落としおわるまで彼らはとまることは無いであろう。

 吉本興業が、彼の失態に対してすばやく解雇という処置をとり、萩本欽一が 彼が所属していた野球チームに対して即座に解散という手を打った(その後、一瞬にして解散宣言を撤回したところを見ると最初から解散なんか念頭においていないが、批判をかわすだけのためにそう言っただけというようななんだか茶番めいたことになりますが)などというようなもろもろの行動は芸能界という厳しい現実を映していて、僕は彼らが哀れになります。

 人の不幸は蜜より甘い。誰かが一度弱みを見せれば、それをかばうものまで含めて容赦なく、一言の釈明の機会も与えることなく落ちるところまで落としてしまう。本来それをかばってもいいはずの、事務所までが我関せずの態度で、尻尾をつかまれたトカゲよろしくすっぱりと切り捨ててしまう。

 悪いこと、いやなこと、いやらしいこと、眉をしかめたくなるようなこと、そんな事どもを、全部まとめてゴミ箱に棄てて、世界が昔よりもきれいになったなんて思うのは、いかんのではないかと思う。

 ぼくは、未成年と性交渉を持つということが、どれほど悪いことであるのかということを計りかねている。未成年にお酒を飲ませるということが、酔わせてたぶらかすということが、それほど悪いことであるとも思われない。僕は、今まで女の人に精神面で勝ったと思ったためしがない。僕にとって彼女たちはいつでも僕よりも鋭くて、いろいろなことに考えが回って、僕よりもいろんなことを知っている人たちである。未成年だ17歳だといって、エロい目をしたおっさんと酒をのんだらどういうことになるかなんてなことは、分かりそうなものではないかとおもう。

 とにかく、山本氏はヘマをしてしまった。そしてそのヘマを、人々は決して忘れないだろう。彼が生き続ける限り、彼の周りには、人々の声をひそめたささやきがついて回るであろう。

 僕は彼がかわいそうだ。

2006年7月17日 (月)

第三省察 ~神について、神は存在すること

ということで、ユベントスのことについて話したいと思います。

今更、というきもするかもしれないですが、やっぱり、このブログを、希にしか更新しないとはいえ、更新したらしたでサッカーの話で茶を濁している身として、この話はやっぱり、避けては通れない問題なのです。

ぼくは、個人的な話をすると、というか、ここで個人的な話以外をしたことはないのですが、とにかく、これまでの話の流れからいって、気づいている人もいるかも知れませんが、アンチ巨人です。

それも、容赦しないタイプのアンチです。ほんとに、心から巨人が負ければ良いと思っている人間です。巨人が10連敗したとしたら、そろそろ勝ったほうがいいんじゃないかと思うような、生やさしいアンチでは、僕はないのです。

ということで、巨人が10連敗すれば、11敗目を僕は待ってしまうのです。7月は白星なしでいいんじゃねぇーの、と思ってしまう人です

そんな僕が、僕がユベントスが2部に落ちると聞いて、にやにやしてしまったということは、改めて指摘するをまたないでしょう。

ユベントスにしろ、ミランにしろ、ローマにしろ、インテルにしろラツィオにしろ、悪いことをするチームは、落ちてしまえばいいと、ぼくは常に思ってやまない25歳です。

なもんで、ユベントスが降格という一報を聞いたときの僕の喜び、また、鼻息たるや推して知るべきです。

ざまぁーミソラシド。なめんなよオラっ!と、こう快哉を叫んだわけです。

ところで、僕が巨人よりも憎むものを知っておられるでしょうか、それは不平等です。

日本での、偏った報道からは、どうも何一つ僕の知りたいことは知りえません。

僕の知りたいこと、それは、唯一つです。

つまり「なぜ、ミランは降格を免れたのか?」

このことのみです。

僕にはそこらへんの機微が良く分かりません。イタリア語も分からないので、詳しいことも分かりません。

そもそも、僕が貧弱な情報網(といってもヤフースポーツのニュース欄の域を出ないのですが)を持って知っていたことは、ユベントスは危ないということです。

ユベントスは3部に落ちるのではないかということが、ワールドカップの始まる前に、なにやらじわじわと、沸き立ち始めて、そうこうしていると、いやいや、やばいのはユベントスばかりではないという話が出てきて、どうやらミランとか、フィオレンティーナとかがやばいという話になって、そんなことを話しながら、ワールドカップを向かえ、もしかして、イタリアがワールドカップで優勝すれば、恩赦が下るのではないのかというような話もありました。

でも、詳しく、ユベントスがどういう悪いことをしたのかもわからず、モッジがどうだとか、ブッフォンがどうだとか言う話ばかりで、詳しい説明はついに与えられず、僕には、なぜユベントスが二部落ちで、ミランが二部落ちを免れたのかも分からないのでした。

その辺の詳しいところを、誰か僕に、手取り足取り教えてくれないでしょうか?

ユベントスとミランとラツィオとフィオレンティーナの処分のあいだに横たわる事情を僕は詳しく知りたいのでした。

ところで、この前の記事へのコメントで親切な方が指摘してくださったとおり、僕の思うワールドカップのMVPはマキシロペスさんではなく、マキシロドリゲス選手の間違いです。

このように、僕の話すことはてきとーなことばかりなので、こんなたわごとに付き合ってくれている人がいること自体がすでに驚きなのですが、コメントすら入れてくれる人がいるとはさらに思わないのでした。

僕の、妄言を読んでくれる人がいるということは、ありがたいことです。それが、たとえ一人だとしても、僕はその一人の読んでくれる人のために、もう少し注意して書いていきたいと思います。

これからも、あさってのことばかり書くと思われますが、僕が間違っている場合には(たいていの場合には僕が間違っているのですが)遠慮せず指摘してください。

ではでは、風邪など引かぬように。

2006年7月14日 (金)

私はも早、善意思を持って目覚めなかった

相変わらずの有無も言わせぬ文系でごめんなさい。

ということで、文科系の僕は、断然、ジズゥーの味方なのでした。

報道ステーションがいくら偏った報道をして、ジダンとマテラッツィのあいだに差をつけるのに嫌気がさしても(翻訳の一人称は、ジダンは”僕”で、マテラッツィは”俺”でしたね)、やっぱり、ぼくにとっては、ジダンはジダン。永遠のアイドルなのでした。

ここ十年来の、ジダンファンにしてみると、ジダンははっきり言って、彼はそういうことをしてしまう選手であるだろうというのが正直なところです。

人格者で、サッカーに大きく貢献してきたことは、間違いないし、それに対してどうこう言う気はないのですが、ジダンという選手個人を考えたときに、なんと言うか意外にキレてしまいやすい要素はこれ、あったのではないかと、こう思うわけです。

なんにしても、FIFAがジダンのMVPを剥奪しようがしまいが(ちなみに僕の中でのMVPはアルゼンチンのマキシロペスです)僕のジダンの評価はこれっぽっちも変わりません。

相変わらず、サイコーな選手です。

引退が惜しまれます。同じ意味で、中田英寿選手の引退も惜しまれます。サッカーに対して、これまで感じていたほどのときめきを感じられなくなっていたというのですが、僕がえらそうにいえることではないのですが、自らの仕事に新鮮さを常に感じていられるなんて、やっぱり、それは、無理なんじゃないかと、僕は思ってしまいます。

サッカーがつまらなくなったから、サッカーをやめる、。これは、実に彼らしいのですが、なんとなく、思うのは自分の仕事にときめきを感じていられるような人は、ほとんどいないのではないかということで。

なんにしても、これからが大事なときになってくるのでしょう。

日本のサッカーが弱くて、たとえばドイツのサッカーが強い!なんてなことを言って、それは国民のサッカーに対する態度にその根本の問題が潜んでいるのではないかなんていって、いたずらに、紙面を無駄にしているひとたちがいるのですが、僕としては、サッカーが弱いから、それがどうしたんだ、という感じです。

サッカーに対して日本国民は未熟であるらしい、だから、何なんだ!それがどうした!と僕らは言うべきだと思います。

だって、僕たちは、サッカーで西洋人や南米の人たちに勝つその日のことを思って、日々を過ごしているわけではないからです。

そして、僕は、それはすばらしいことだと思っています。

なぜなら、おそらく、人生には、日本人にとっては、サッカーで西洋のチームに勝ったり、南米の人たちを打ち負かしたりすることよりも大切なことがあると、ぼくはそう信じているからです。

だから、僕は、日本のサポーターが、ドイツやイングランドのサポーターのようになれば日本代表がドイツ代表やイングランド代表のように強くなれるなんてぜんぜん信じられません、もしかしたら、強くなれるかもしれませんが、そんなイングランドのフーリガンのような奴らは糞食らえです。

西洋のようにやって強くなれるのでしょうか?
ブラジルのようやって強くなれるのでしょうか?

日本人には、日本人のやり方があると、僕は思います。

それでダメなら、それまでです。あきらめればいいと思います。

なんてね。なんてね。なんてね。

じゃあねぇー。おやすみ

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