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2006年7月14日 (金)

私はも早、善意思を持って目覚めなかった

相変わらずの有無も言わせぬ文系でごめんなさい。

ということで、文科系の僕は、断然、ジズゥーの味方なのでした。

報道ステーションがいくら偏った報道をして、ジダンとマテラッツィのあいだに差をつけるのに嫌気がさしても(翻訳の一人称は、ジダンは”僕”で、マテラッツィは”俺”でしたね)、やっぱり、ぼくにとっては、ジダンはジダン。永遠のアイドルなのでした。

ここ十年来の、ジダンファンにしてみると、ジダンははっきり言って、彼はそういうことをしてしまう選手であるだろうというのが正直なところです。

人格者で、サッカーに大きく貢献してきたことは、間違いないし、それに対してどうこう言う気はないのですが、ジダンという選手個人を考えたときに、なんと言うか意外にキレてしまいやすい要素はこれ、あったのではないかと、こう思うわけです。

なんにしても、FIFAがジダンのMVPを剥奪しようがしまいが(ちなみに僕の中でのMVPはアルゼンチンのマキシロペスです)僕のジダンの評価はこれっぽっちも変わりません。

相変わらず、サイコーな選手です。

引退が惜しまれます。同じ意味で、中田英寿選手の引退も惜しまれます。サッカーに対して、これまで感じていたほどのときめきを感じられなくなっていたというのですが、僕がえらそうにいえることではないのですが、自らの仕事に新鮮さを常に感じていられるなんて、やっぱり、それは、無理なんじゃないかと、僕は思ってしまいます。

サッカーがつまらなくなったから、サッカーをやめる、。これは、実に彼らしいのですが、なんとなく、思うのは自分の仕事にときめきを感じていられるような人は、ほとんどいないのではないかということで。

なんにしても、これからが大事なときになってくるのでしょう。

日本のサッカーが弱くて、たとえばドイツのサッカーが強い!なんてなことを言って、それは国民のサッカーに対する態度にその根本の問題が潜んでいるのではないかなんていって、いたずらに、紙面を無駄にしているひとたちがいるのですが、僕としては、サッカーが弱いから、それがどうしたんだ、という感じです。

サッカーに対して日本国民は未熟であるらしい、だから、何なんだ!それがどうした!と僕らは言うべきだと思います。

だって、僕たちは、サッカーで西洋人や南米の人たちに勝つその日のことを思って、日々を過ごしているわけではないからです。

そして、僕は、それはすばらしいことだと思っています。

なぜなら、おそらく、人生には、日本人にとっては、サッカーで西洋のチームに勝ったり、南米の人たちを打ち負かしたりすることよりも大切なことがあると、ぼくはそう信じているからです。

だから、僕は、日本のサポーターが、ドイツやイングランドのサポーターのようになれば日本代表がドイツ代表やイングランド代表のように強くなれるなんてぜんぜん信じられません、もしかしたら、強くなれるかもしれませんが、そんなイングランドのフーリガンのような奴らは糞食らえです。

西洋のようにやって強くなれるのでしょうか?
ブラジルのようやって強くなれるのでしょうか?

日本人には、日本人のやり方があると、僕は思います。

それでダメなら、それまでです。あきらめればいいと思います。

なんてね。なんてね。なんてね。

じゃあねぇー。おやすみ

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コメント

マキシ・ロペスでは無くて、マキシ・ロドリゲスではないですか?

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