ニーチェ
科学は多くの有用性をもたらした、現今では人々は、宗教やこれと類似のものに対して不信の念をいだきながら、科学にまった屈服したがっている。しかしこれは誤りなのだ!科学は命令することはできない。道を指示することはできない。むしろ、人々が、どこへ?を知っているときに初めて科学は有用でありうるのだ。一般に、認識が人類にもっとも有用で最も不可欠なものをつねに認識するであろうと信ずるのは、神話論である--認識は、有用でありうるものとまさに同程度に有害でありうるであろう。--道徳性の最高の諸形式は完全な明るさの基ではおそらく不可能であろう。
長い歳月が流れて銃殺体の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない。
復讐をあきらめること、それは「絶対に現代的である」こと。
叙述は一つの思い出、したがって要約、単純化、抽象化なのだ。
僕は何かを語ろうとするときに、常に暴力的であるを免れ得ない。僕が語ることはすべて、暴力的な要約であるを免れない。僕は細かな些事をすべて捨て去ることを持ってしか何一つ語れない。
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなったら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから。
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
2
奉仕の気持になりはなったが、
さて格別のことも出来ない。
そこで以前より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。
テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田を敬虔に編み--
まるでこれでは、玩具の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇へば、にっこり致し、
飴売爺々と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、バラバラ撒いて、
まぶしくなったら、日蔭に這入り、
そこで地面や草木を見直す。
苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
((まことに人生、一瞬の夢
ゴム風船の、美しさかな。))
空に昇って、光って、消えて--
やあ、今日は、御機嫌いかが
久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処かで、お茶でも飲みましょ。
勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。
戸外はまことに賑やかなこと!
--ではまたそのうち、奥さんによろしく。
外国に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美しく、はた俯いて、
話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をボーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。
3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に--
テムポ正しく、握手をしませう。

テムポ正しく、握手をしませう。
耳(目?)に残ります。(笑)
投稿: アルバイト | 2008年4月16日 (水) 15時37分